「どん底。しかし・・・」  10.11.11   列王記下25:1〜12、ヨハネ3:16〜17

 イスラエルの人たちは、国が滅びるという経験をします。すべてが焼き払われ、神殿さえも破壊されます。
ずたずたの国の状況を見ながら、どうしてこんなことになったのかと考えたことでしょう。

 イスラエルの神が、敵の国の神に負けた。だから滅びた。神の力が足りなくて、神はイスラエルの国を
守れなかった。さらには、神はいなかった。そんな風に考えた人もいました。

 しかし、そんなどん底の中でも、なお神を見つめ続けた人たちがいました。そして気づきました。
「今は絶望のようにしか見えない状況にある。しかし今なお天地を創られた神のご支配のうちにおかれている。」
そして、神の与えてくださる回復に希望をおいて待つものとされていきました。

 神の支配の中にあることを信じ抜くとき、絶望が絶望で終わらないことも信じられます。
絶望を本当の絶望にすることは簡単です。神が今の自分を支配してはいないと信じれば、希望は生まれなくなります。
 
反対に神のご支配を信じれば、そこは神と共にある苦悩であり、絶望であり、神の御心が注がれている故に、
何かの意味がある絶望であることに気づかされます。
 そして、絶望のような状況の自分を支配しておられるのは、回復の道を開いてくださる神だと気づかされます。


 国が滅びたイスラエルに、神さまは預言者を通して回復を語り続けました。エゼキエルも、ずたずたになっている
イスラエルの回復を語る者とされました。枯れた骨のようになっているイスラエルを神が回復されるとの幻を示されたのでした。

 神は、ご自分がお創りになった私たちを愛する方です。どん底で押しつぶされてしまうことをお望みではないのです。
罪と死というどん底から回復するために、神の独子をさえお送りになり、十字架と復活の道を進めさせられました。
そんな
神のご支配におかれている私たちには、「何の望みも持てない状況などない。」と信じて生きるのです。